鈴木 温人
Atsuto Suzuki
■生年月日
1999年1月20日
■出身地
千葉県柏市
■出身校
県立柏高等学校卒、法政大学在学中
■身長・体重
162cm・67kg
■プレースタイル
カウンターパンチャー
■得意なショット
フォアハンド逆クロス、
パッシングショット&パッシングロブ
■所属
Asch JTAM (松戸テニスクラブ)
■主な戦績
2021年度千葉県テニス選手権単複優勝
2021年度全日本テニス選手権東日本大会出場
2021年度千葉テニストーナメント単複準優勝
日本テニスランキング大会(JOP)通算優勝2回、準優勝2回
■略歴
4歳の時に「吉田記念テニス研修センター(以下TTC)」で行われたテニス教室に参加し、テニスの楽しさを知り、週1回TTCに通う。他にも水泳、剣道、ピアノ、英会話などの習い事が多く、テニスに費やす時間はごくわずか。
テニスはTTCで続けていたものの趣味程度。高校に入って念願の硬式テニス部に入部。週3回、千葉県我孫子市にあるテニススクール「Aschテニスアカデミー我孫子」にも通い始めるが、爪痕を残すことなく、部活は引退。
大学進学後はテニスサークルに入る。そんな時、元プロが開催するジュニア向けのオーストラリア合宿を勧められ参加。出発当日の空港で、元プロである中瀬コーチと初対面。
この合宿がきっかけとなり、中瀬コーチ指導のもと、日本テニスランク大会(JOP)を回り、全日本テニス選手権、そして、最終的にはプロを目指すことを決意する。
ジュニア時代に結果を出せなかった自分が、国内のトップ、そして世界で活躍する選手になれたら、同じような境遇のジュニアはもちろん、いろいろな人に勇気と希望を与えられると信じて……。
“謙虚に、そして Don’t make excuses.”
[小学校時代]通っていた吉田記念テニス研修センター (TTC)にて国枝選手と
[小学校時代]草トーナメントには出場していてたまに勝っていた頃
[高校時代]ケビン・アンダーソン選手のサーブを体感しよう!という楽天ジャパンオープンでの企画で、参加者のなかで一番うまく返球し、アンダーソン選手からラケットをもらった
今のコーチ(中瀬コーチ) と出会った オーストラリア合宿
TTC での練習の様子
2021年度千葉県国体選手選考会参加
スズキ機工株式会様とスポンサー契約
小学校時代
通っていた吉田記念テニス研修センター (TTC)にて国枝選手と
小学校時代
草トーナメントには出場していてたまに勝っていた頃
高校時代
ケビン・アンダーソン選手のサーブを体感しよう!という楽天ジャパンオープンでの企画で、参加者のなかで一番うまく返球し、アンダーソン選手からラケットをもらった
今のコーチ(中瀬コーチ)と出会った
オーストラリア合宿
TTCでの練習の様子
2021年度千葉県国体選手選考会参加
スズキ機工株式会様とスポンサー契約
こんにちは! はじめまして、鈴木温人です。
現在、日本テニスランク大会(JOP)をまわり、全日本テニス選手権本戦出場、そして、将来はATPツアーをまわれるような選手になることを目標として活動しています。そんな僕ですが、実は2~3年前まではテニスでプロを目指そうとなんてこれっぽっちも思っていませんでした。
テニスを始めたきっかけは、僕が4歳の時です。
家の近くにあったテニススクール、「吉田記念テニス研修センター(以下TTC)」で行われた千葉県柏市主催のテニス教室に参加したことでした。そこでテニスの楽しさ、上手くボールを打てた時の爽快感の虜になり、週1回ながらTTCに通うようになりました。
しかし、不器用な僕がそんな量の練習で格段に上達するはずがありません。何年経っても、TTCのプログラムにある選手コースにお呼びがかかることはありませんでした。この頃の僕は、水泳、剣道、ピアノ、英会話、塾などの習い事に加え、部活動にも参加していたため、テニスに費やす時間はほとんどありませんでした。“テニスが一番上手くなりたい、上手くなれたらカッコいいなぁ”と心のどこかでは思いつつも、選手コースに所属している人達の練習姿を横目に、羨ましさや嫉妬心がふくらむばかりでした。
高校でも目が出ず中学生の時には部活動に硬式テニス部がなかったので、テニスはTTCで趣味程度に続けていました。
高校進学後、念願だった硬式テニス部に入部し、やっと同年代の子達と一緒に本格的な練習ができると思っていたのですが、その高校は進学校だったためテニスを本気でやっている人はとても少なかったのです。使用できるコートはデコボコなクレーコート3面、照明はなし。その上テニスコートは女子硬式テニス部と男女軟式テニス部との共同使用だったため、練習時間も少なく、決して練習環境は良いとはいえませんでした。なので、週3回、千葉県我孫子市にあるテニススクール「Aschテニスアカデミー我孫子」に通わせてもらうことにしました。今までに比べたら、真剣により多く練習ができるようになったので、高校の地区大会ではそれなりに活躍できるようになりました。
しかし、県大会になるとその壁は高く厚く、初戦敗退が常でした。
自分の心の中では“まだやれる、伸び代がある”と思っていましたが、無惨にも時間は過ぎていき、結果を出すことはできませんでした。
気付けば引退・受験の勉強の時期を迎え、事実上テニスを一旦離れることになりました。そんななかでも、学校の昼休みに1人でテニスコートに行ってサーブ練習をしたり、昇降口の前でボールつきをしたりしていました。
その時、初めて気づきました。自分は本当にテニスが好きなんだな、と。
その後、大学に進学して部活動に入部することはなかったものの、大学のサークルで細々とテニスを続けることになりました。
とある日、久しぶりに「Aschテニスアカデミー我孫子」に顔を出すと、高校時代にお世話になったコーチから「今度、俺の知り合いの元プロがオーストラリア合宿をジュニア向けにやるみたいだから、行ってこいよ」と言われました。
元々海外志向はあったものの、今までそんな凄い人と接する機会がなかった僕は絶好のチャンスだと思い、すぐ家族に相談し、参加させてもらうことになりました。合宿当日、空港には数人のジュニアを連れた中瀬コーチがいらっしゃいました。
僕は初めてお会いしたので、正直、“背は高くないし、細身だし、こんな人が本当に昔日本の上位にいたのか?それに第一、もう45歳のおじさんやろ?今、試合したら僕が勝てるでしょ”と思いました。
そこで、中瀬コーチに挨拶をした際に「オーストラリアに着いたら試合してください!絶対勝ちますから!!」と宣言し、いきなり喧嘩をふっかけるというかなり失礼なやつになりました。これが現コーチである中瀬さんとの出会いでした。
結局その合宿中に一度も中瀬コーチに勝てることはなく、すごく悔しい思いをしたことで、僕のテニス熱に再び火がつき、心の底から強くなりたいと思うようになりました。帰国後、中瀬コーチも僕の生意気さや合宿中のハングリー精神、足の速さなどに、現役時代の自分自身を重ね合わせたのか、僕にプロとしての可能性を見出してくれました。
そして、二人三脚で全日本選手権、そして、プロへの道を歩み始めたのです。
もちろん、当初は家族の猛反対もありましたが、だんだんと結果も出始めて、今では応援してくださるスポンサーの方もいらっしゃいます。少しずつではありますが、プロを目指すことを周りが認め始めてくれているのだと感じます。
とにかく!僕が勝って勝って勝ちまくって結果を出してテニスで自立することは、親孝行につながると思います。また、小・中・高校時代に全く結果を出せなかった自分が国内のトップ、そして世界で活躍する選手になれたら、同じような境遇のジュニアはもちろん、それだけではなくいろいろな人に勇気と希望を与えられると信じています。それが僕が強くなりたい大きな理由の1つでもあります。人生は一度きり。夢は叶えるためにある。これからも、自分の夢へと楽しみながらチャレンジしていきます!!
皆さん、応援よろしくお願いいたします。
“謙虚に、そして Don’ t make excuses.”